俺のモノは俺のモノ。お前のものは俺のモノ。

COVID-19の蔓延が、社会に大きな影響を与えています。特に経済的な影響は非常に大きく、今後もその影響がさらに大きくなる可能性が、少なからずあります。多くの企業にとってこの状況は、これまでとあまりにも大きな違いがあり、いかなる企業であっても、倒産してしまう可能性がある状況です。実際、多くの大企業が倒産すると思います。

ドローン

そのような状況で、経済活動のスケールが、大企業中心から個人もしくは個人経営の企業に移ってくるような気がします。もちろん、インフラ関係や極めてエッセンシャルなハードウェアを作る会社は、何らかの形で存続するでしょう。一方、我々一般の生活レベルで消費される商品については、相当量、個人対個人、もしくはそれに近い取引形態になる、と想像します。

インターネットの普及により、C to Cのマーケットが今まで以上に意識しない形で広がってくるでしょう。メルカリのようなサービスは、年配の人にはまだ不用品を売る、という意識があります。ところが若い人たちにとっては、ずっとシェアリングに近い感覚があるようです。あるモノを買ったけど、飽きてしまった、他のモデルにしたい、もっと色々試してみたい、こんなにたくさんいらない、友達に試してもらう、というように。お金という媒体を使ってモノのやりとりをしていますが、極端な話、日本国民全体でモノをシェアしている、という意識のようにも見えます。値段は単なる記号であって、モノをある人が所有しないようにするため、あるいは所有したい人のために決められた指標、のように思えてきます。


もし、日本全国民の所有物すべてが、すべての国民のものであったとしたら。それはどのような意味を持つのでしょうか。社会主義のような気がしますが、それは国家が所有し政府が国民に対し分配する、というように管理する団体があります(正確な定義はよくわかりません…)。これは、インターネットとそれ以前の中央集権型のホストコンピュータ、の関係に似ています。

ある一定の金額を支払い、そのシェアリングに参加します。各家庭が炊飯器を所有する必要はありません。近くの誰か・団体が炊飯器を保有(所有ではない)し、まとめてご飯を炊いて、それを取りに行くか配布する、という形です。炊飯器のライフタイムで、実際にご飯を炊いている時間はどれほどでしょうか。誰かが炊飯器を保有したら、ひたすら壊れるまでご飯を炊き続ける、というようにします。炊飯器を購入するコストと、炊飯器の目的であるご飯を炊くというパフォーマンス、で計算されるコストパフォーマンスは、相当高いものになります。

それって結局飲食店で食べるのと一緒じゃないの?という気もしますが、あくまで付加価値をつけずに、ある参加費用を払ったら、材料費以外はタダ、ということです。

正直、ご飯だとあまりピンときません。多分、車とか別荘とか、ほとんどの時間使用しておらず高価なモノ、がやはりシェアリングに向いているようです。各家庭においてほとんどの時間稼働・使用していないものというと、食器、掃除機、服、工具、等々。単価が低いものが多いです。シェアする場合、手元に来るまでの時間であったり、そのコストとのバランスになりそうです。

もしドローンのようなもので配達されるとなると、その敷居がかなり低くなりそうです。スマホで使いたいモノを検索すると、近所にある使用していないモノがピックアップされる。それをドローンで自動的に配達、あるいは近所を通る知らない人の車の屋根に乗せて配達、みたいになると待つ時間も最小になりそうです。少なくとも、店に買いに行ったり、オンラインで購入し配達を待つ、よりも圧倒的に速そうです。そうなったら、シェアリングも急速に広まる、と思うのですが。